日記・コラム・つぶやき

その7 「クリスマスは教会へ」

こう言っちゃなんですが「ジブン教」の世界って、どんなにジングルベルで盛り上がっても、「悲しくてやりきれない」のではないですかね。んな硬いコトゆーな、楽しけりゃそれでいいじゃんscissorsという考え方も経験的にわかってますけど・・・・。

12月の街が、主人公のいないお祭り騒ぎで一杯になってゆくのを見ると、私はかつて自分自身がその中にどっぷりと浸かっていた頃のあれやこれやを思い出して、時々胸が潰れそうになります。まじで。で、思わず雑踏の中で、賛美歌121番(この人を見よ・・・と繰り返す歌)を歌ってしまう。心の中でですけど。

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クリスマスパーティーもプレゼントも楽しいし大好きです。キリスト教を信じていてもいなくても、誰もがクリスマスをめいっぱい祝い、楽しめばいいと思います。でも、12月24日のクリスマスイブは、日本のあちこちのキリスト教会でキャンドルshineを灯し喜びの賛美歌を歌う、燭火(しょっか)礼拝をやっているのです。

行田カベナント教会は午後7時半から8時くらいまで。だいたい全国どこの町の教会でもそのくらいの時間帯でしょう。クリスマスは救い主イエス・キリストの生誕を祝う日です。今年こそ、クリスマスにはお近くの十字架をかかげた教会へお出かけ下さい。

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その6 「コワイ歌」

この秋、加藤和彦さんが亡くなりましたね。ご自分で死なれたというニュースを聞いた時、彼の「悲しくてやりきれない」という往年のヒット曲に思い浮かべた方も多いのではないかしら。

映画「パッチギ」のエンディングにオダギリジョー君が歌っていました。加藤氏の歌い方もそうなのですが、あの歌はあんなふうにノホホンとユル~く歌うのがいいです。悲しくてやりきれないんだから、あんまり思い入れて歌われちゃ困っちまう・・・・。

だってあの歌はコワイ歌ですよ。芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺したそうですが、歌ってるのはすなわちその種の深い淵のことでしょう。その深い淵をまともにのぞき込みたくなくて、人間は友達とか恋人とかを欲しがったり、仕事にのめり込んだり、遊びまくったり、金儲けにこだわったり、勉強して何かを突破しようとしたり。でなきゃ、誠実とか愛とかをジブンなりに追求して気をまぎらわすのかもしんないのです。

11月15日のブログで私は「ジブン教」のことを書きましたが(よろしければ右上のカレンダーからたどれます)、自分を信じて、自分の心に正直に、素直に、との心意気で自己実現をめざす「ジブン教」と、「悲しくてやりきれない」はかなり近い親戚だと思います。

(まだ続くsweat02

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その5 「シンジラレナイ」

サンタクロースの夢から覚めたあと、私はごくフツーの日本人らしく新年には気が向くと神社に詣で、お彼岸になればお墓にも参る暮らしをしてました。それは信仰心というより生活習慣的たしなみに添った行動と言えましょう。そして、お守りを鞄にくっつけたり、受験の時に絵馬を奉納したりもするのですが、そのワリには「宗教に頼らずに生きる方が断然カッコイイ」と思っていたわけで・・・・。

以前、某イスラム国の大学で教鞭をとっていた方(日本人)から聞いた話ですが、あちらで「自分は特に宗教を信じていない」と言おうものなら、「それは本当なのか。お前それでよく生きてるな。シンジラレナイ、ダイジョーブか!?」とマジで言われるのだそうです。

「信じられない」、というのは文字通り人間として信用できないということだそうです。つまり、自分を超えたところの神の存在を謙虚に認めない人間は無知の極みであり、善悪の基準を持たないから危険であり、信用し難い。と受け止められるのだそうです。

一神教の文化をヒハン的に見る向きも多々ありましょうが、それでも昨今の日本社会が倫理的な規範の地滑りを起こしているありさまを見ると、これはなかなかに鋭い指摘だと思います。

(続く)

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その4 「夢としてでなく」

Dscn2994 サンタの身元が割れた時、自分はどう感じたか。夢が終わり、白々とした朝焼けに「現実」という名の長~く乾いた道が続いているのが見えたわけですが、あまりに昔ではっきり覚えていません。

何年か前の新聞の投書欄に、「わが家はクリスマスシーズンになると、夫婦そろってサンタクロースの来訪を懸命に演出します。可能な限り長く続けて、幼い子にたっぷり夢を見せてあげたいです」という若い母親の投書が載っていました。厳しく世知辛い世の中に出る前に、せめて愛情いっぱいの素敵な夢を、ですね。この家の子供は、たぶんとても幸せなのでしょう。

けれども、クリスマスの喜びが家庭の中で、あくまでファンタジーの道具として語られ、夢から覚めた子供達に、目には見えなくても決して消えることのない、人生の確かな希望のありかをはっきりと語る事ができないなら、この国のクリスマスは何と淋しい行事なのだろうsweat02成長してゆく子供の手を離し、何が起きるかわからない世の中にそのまま送り出さねばならないなら、それは何とツライのだろうかsweat02・・・・と子供の親になった私はつくづく思うようになりました。

(まだ続く)


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その3 「クリスマスがお好き」

第二次大戦(太平洋戦争)後、進駐軍と共に多くのアメリカ人宣教師が来日したそうです。その日本で、歳末に一斉にクリスマスツリーが街にあふれ、ジングルベルが流れ出すのを見た宣教師の方たちは、「日本はすぐにもキリスト教国になるであろう」と喜んだとか。・・・・・・・残念でした。

Dscn2988 それでも、日本人はクリスマスが「好き」ですよね。今年は不況でやや地味めですが、おうちイルミネーションもやたら頑張ってるお宅が多い。

つい先日、とある理由で80歳後半のお年寄り数人と夕暮れ時の街を車で移動する機会があったのですが、繁華街の光のツリーのに歓声をあげ、「ああ、12月はこれがあるからいいもんだよねえ。きょうはクリスマスを見られて良かったよ~」と大喜びしていました。



確かめたわけじゃないけど、おそらく家に帰れば全員が仏様を拝んでいるとおぼしきヒトビトなので、ちょっと私はびっくりしました。街のイルミネーションは商業主義が盛り上げている事は確かだけど、でも何だかそれだけじゃない、やっぱり「好き」としかいい言いようがないものが人々の根本あるのでは、という気がした出来事でした。

(もうちょい続く)

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その2 「サンタの正体」

生家ではご飯を食べ終わると、その飯茶碗に白湯を注いで飲んでごちそうさま、というミョーな習慣がありました。大人になって、たまたまTVで永平寺のドキュメンタリーを見ていたら、お坊様たちが全く同じことをしているのを見て腑に落ちました。同じ宗派なのです。

Photo そんな家でしたが、クリスマスになるとちゃんとサンタが来ました。枕元にブーツ入りお菓子とか本とか毎年必ず届く。だからある年齢までサンタは本当に いるのだと思っていました。

←これは行田のぞみ園のギフトボックス・ミニ。箱代込みで500円くらいからご用意できますheart01

とは言え、私の家にサンタはどうやって入るのか。そう考えると不思議でしょうがなかったです。屋根の開口部といえば囲炉裏の「煙出 し」ですが、あれはもう絶対太った高齢者が通れるような構造じゃない。で、イブが近づくと頭の中でサンタの体躯がそこを巧みに通過するSFチックな映像を懸命にCG合成してました。

そのうち、やがてソコハカとなく察する時が来もの。プレゼントは家の人が置いてるんじゃないか・・・何がきっかけだったか忘れましたが、何となくそんな気がしてき たら、いつの間にかプレゼントは置かれなくなっていました。サンタを見抜くって事は、子供にとって確かな成長であり、また挫折でもあり ますね。
(さらに続く)

Photo_2 クリスマス・ラベルのお菓子をセットするとxmas雰囲気が出ます。箱詰めは随時承っています。ご相談下さい。→

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クリスマスに思う その1 「囲炉裏のある家」

関東平野の片田舎に生まれたこの私。生家は、小学生時代までつるべ井戸が残り、囲炉裏があり、ご飯はでっかいかまどで炊いていました。ですから、私は上段構えからの薪割り(←時代劇のワンシーンによくある)がかなり上手でござる。ふっふっふsmile

あれは力ではなく振り下ろす刃の重みで割るthunderので、良く乾いた薪でさえあれば小学女子でも鍛錬で可能goodなのです。カッと構えて狙いを定め、ズカッと割るのはすごく気持ちがいい・・・という話を、以前、まだ幼かった頃の娘virgoに話したら「そんじゃあさ~、お母さんの生まれたのはちょんまげ時代だったの?」と真顔で聞かれて超ショックでしたbombimpact

「炊飯器の米riceballはやっぱりまずい」と言って、周囲の大人達が井戸水やかまど炊きご飯にいつまでも執着してただけですってば!

(続く)

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夕焼け楽し

Dscn3018 行田のぞみ園に隣接した、行田カベナント教会で昨日(11月29日)日曜礼拝の後で、クリスマスオルガンコンサートが開かれました。

演奏者の矢吹綾子さんは曲の合間に楽曲の解説をなさり、また、ご自分がキリスト信仰を持つに至った経緯などを軽妙率直に語られ、聴衆はなごやかな雰囲気の中で本格演奏を楽しみました。



Photo このコンサートの入場料は500円。ただし、入場者にはプログラムと一緒に行田のぞみ園のミックスクッキーxmasクリスマスラベル一袋(220円)のプレゼントがもれなく付いてくるheart01という催しでした。

行田のぞみ園で働いているH君はお母様とご一緒に、M君は一人で来場してくれました。このM君、歩くのが大好き。のぞみ園にも1時間かけて徒歩通勤してま す。この日はコンサート終了時刻にあわせて、お母様が車で迎えに来て下さったのだけど、それを待たずに徒歩で家路についた模様。お~い、健脚のM君、帰り 道の夕焼けは楽しめましたか?









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音楽のチカラ

きのうオルガンコンサートの案内で、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」も演奏される、と書きましたが、私はこの曲にはちょっとした思い出があります。

それは、私がまだ若い頃、キリスト教などxmasクリスマスの飲み会shinebottlebeerbarshine以外ぜんっぜんノーマークで、青春バンザ~イnoteみたいな生き方をしてた時代のことです。つまり、何と申しましょうか、「自分の心に正直に」、「自分に素直に」、「自分の意志が一番大事で肝心なんだ!」的な。

言うなれば私は「ジブン教」の信者でした。そういう生き方って、今でもあちこちで肯定的に語られますけどね。でも、人間の本質を深く考えると、それって非常に無理があるっつーか、破綻してるよなあ、と今は思うんです、私はね。

当時は職場の環境がけっこう面白かったので、つい調子に乗ってバカみたいな働き方をしてたせいでしょうか。私は二十代の半ば過ぎに、原因がよくわからない病気bombimpactに突然なってしまったのでございます。で、入院となり手術となり、よく眠れない夜というのが一ヶ月位続きました。体じゅう痛いし、熱下がんないし、吐きそうだし、点滴してるから体も動かせない。あっ、あーっ!、ン十年ぶりに、今突然思い出したけど、確かベッドに縛られていました!患部が非常に細かい手術だったために体動厳禁だったのです・・・とほほほ。

ともかく、苦しくて眠れないから夜が長い長い長~~~いannoy。で、気を紛らすためにFMを聴いているのですが、何を聴いても面白いはずがない。どんな番組もイライラして頭に来るんですよ、苦しいから。時々うつらうつらする。でもそれは眠りではなく、疲労から意識が遠のく感じであって、脳は覚醒していて、物音や周囲の気配はかなりクリアに聞き分けている。で、そういう状態の時、イヤホンから聞こえてきたのです。遠く高いところから降りてくるようなあの音楽が。

シンプルな音階を繰り返してのぼり、くだり、またのぼり、透き通った美しい布を織るような、それを幾重にもたたむような旋律。それは、アカペラの聖歌隊とおぼしき人々の声でした。何を歌っているのか全然わからないのに、なんと美しい音楽だろう、と思いました。ああ痛い。ああ苦しい。くっそ~。でもこの音楽はいい。こりゃすごくいいや・・・・。

別に苦痛が和らいだわけではないし、「癒された」などという言葉は使いたくないデス。ただ、その曲が運んできた、やわらかく、あかるく、何ともあたたかい感じはとても印象深いものでした。でも、病気が治って、めでたく元の日常を取り戻したら、それはただの記憶になっちゃいました。で、再び「ジブン教」信者として元気に活動開始・・・・。

有名な曲なだけに、それが「主よ、人の望みの喜びよ」というタイトルのバッハの曲だということは、やがてわかりました。何だかいまいちよくわからんタイトルだなあ、と思いました。フツーの日本人の感覚で、「主」ってのがわからなかったからですね。

その曲と本当の意味で再会したのは、何年も何年も経ってから、思いがけない経緯で信仰を持ち、教会の礼拝で聖歌隊がこの歌を日本語の訳詞で歌うのを聴いた時です。
「心にイエスを宿せる我等は、日ごと、夜ごと、救いをたまわる・・・・」

ああ、あの時私が聴いた歌は、このように繰り返し繰り返し歌っていたのか。これは「自分教」に見切りをつけた者が、「主」すなわちイエス・キリストと出会って新しい生き方をする喜びの歌だ・・・。その時の、ずっしりとした重い驚き。若い日の、病んで消耗しきっていた長い夜の息苦しさの中に、ふとあたたかな光が降ってきたあの感じが、一気に生々しく蘇り、私は音楽というものが持つチカラにしみじみ打たれてしまいましたとさ。

クリスマスオルガンコンサート、来て下さいね!

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オルガンコンサートあります

xmasshineクリスマス オルガン コンサートshinexmas

演奏者 矢吹綾子 Yabuki Ayako

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と き 11月29日(日) 14:30(14:00会場) 
ところ 行田カベナント教会 行田市緑町13-31
     048-553-3174

入場料 500円

shineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshine

今年は11月29日が第一アドベント(待降節)なんですね・・・・ああ、一年が何て早いんだsweat02。でその日、行田のぞみ園に隣接する行田カベナント教会ではxmasクリスマスコンサートが開かれます。矢吹綾子氏はパイプオルガンの専門家。曲目は、バッハ等の伝統的なクリスマス楽曲のほかに、「トッカータとフーガ」や「主よ、人の望みの喜びよ」など、あっ、聴いたことある!という親しみやすい曲も用意されています。

クリスチャンの音楽家はクリスマスの時期になると、演奏環境や音響等の厳しさを押してでも、町の小さな教会に出向いて献身的に演奏をなさる方々が多くいます。これはひとえに、クリスマスの喜びの本当の意味と素晴らしさを、一人でも多くの方々にお知らせしたいshineという思いがあるからなのです。

私はゲストの矢吹綾子氏の演奏を、何度か本格的なパイプオルガンでお聴きしたことがありますが、今回はあえて行田教会の小さなオルガンに挑んで下さるとのことです。行田カベナント教会は小さな教会。クリスマスの時期に、地域の皆さんのお越しがどんなに大きな喜びであることか。どうか、どなたでも、普段着のままお気軽にお越し下さい。小さなお子様とご一緒でも大丈夫です。

小さな教会の、小さなオルガンが豊かな弾き手を得て、どのような音色を奏でるのか私はとっても楽しみです。お問い合わせは行田カベナント教会までお気軽に(ブログ右側のリンクからホームページへ移動できます)。

演奏者 矢吹綾子 プロフィル/埼玉大学教育学部音楽科卒業。埼玉県立高校教諭として勤務の後、聖書宣教会教会音楽舎卒業。1995年、ドイツにて、H.トレフツ氏のもとで研鑽を積む。1998年、NHK・FM「朝のバロック」に出演。エヴァンゲリウム・カントライ(福音聖歌隊)のドイツ伝道演奏旅行、及び、国内伝道旅行にてオルガニストを務める。
2006年、2007年、ドイツ・アルテンブルグオルガンアカデミーにオルガン演奏会、アカデミストとして参加。聖書宣教会パイプオルガン演奏会に出演する他、諸教会におけるオルガン演奏会、アンサンブルのオルガニストとして出演。
岳藤豪希、岳籐照子、H.フォーゲルの各氏に師事。
現在、聖書宣教会聖書神学舎、教会音楽科講師、宇都宮聖書バプテスト教会オルガニスト。

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