きのうオルガンコンサートの案内で、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」も演奏される、と書きましたが、私はこの曲にはちょっとした思い出があります。
それは、私がまだ若い頃、キリスト教など
クリスマスの飲み会



以外ぜんっぜんノーマークで、青春バンザ~イ
みたいな生き方をしてた時代のことです。つまり、何と申しましょうか、「自分の心に正直に」、「自分に素直に」、「自分の意志が一番大事で肝心なんだ!」的な。
言うなれば私は「ジブン教」の信者でした。そういう生き方って、今でもあちこちで肯定的に語られますけどね。でも、人間の本質を深く考えると、それって非常に無理があるっつーか、破綻してるよなあ、と今は思うんです、私はね。
当時は職場の環境がけっこう面白かったので、つい調子に乗ってバカみたいな働き方をしてたせいでしょうか。私は二十代の半ば過ぎに、原因がよくわからない病気
に突然なってしまったのでございます。で、入院となり手術となり、よく眠れない夜というのが一ヶ月位続きました。体じゅう痛いし、熱下がんないし、吐きそうだし、点滴してるから体も動かせない。あっ、あーっ!、ン十年ぶりに、今突然思い出したけど、確かベッドに縛られていました!患部が非常に細かい手術だったために体動厳禁だったのです・・・とほほほ。
ともかく、苦しくて眠れないから夜が長い長い長~~~い
。で、気を紛らすためにFMを聴いているのですが、何を聴いても面白いはずがない。どんな番組もイライラして頭に来るんですよ、苦しいから。時々うつらうつらする。でもそれは眠りではなく、疲労から意識が遠のく感じであって、脳は覚醒していて、物音や周囲の気配はかなりクリアに聞き分けている。で、そういう状態の時、イヤホンから聞こえてきたのです。遠く高いところから降りてくるようなあの音楽が。
シンプルな音階を繰り返してのぼり、くだり、またのぼり、透き通った美しい布を織るような、それを幾重にもたたむような旋律。それは、アカペラの聖歌隊とおぼしき人々の声でした。何を歌っているのか全然わからないのに、なんと美しい音楽だろう、と思いました。ああ痛い。ああ苦しい。くっそ~。でもこの音楽はいい。こりゃすごくいいや・・・・。
別に苦痛が和らいだわけではないし、「癒された」などという言葉は使いたくないデス。ただ、その曲が運んできた、やわらかく、あかるく、何ともあたたかい感じはとても印象深いものでした。でも、病気が治って、めでたく元の日常を取り戻したら、それはただの記憶になっちゃいました。で、再び「ジブン教」信者として元気に活動開始・・・・。
有名な曲なだけに、それが「主よ、人の望みの喜びよ」というタイトルのバッハの曲だということは、やがてわかりました。何だかいまいちよくわからんタイトルだなあ、と思いました。フツーの日本人の感覚で、「主」ってのがわからなかったからですね。
その曲と本当の意味で再会したのは、何年も何年も経ってから、思いがけない経緯で信仰を持ち、教会の礼拝で聖歌隊がこの歌を日本語の訳詞で歌うのを聴いた時です。
「心にイエスを宿せる我等は、日ごと、夜ごと、救いをたまわる・・・・」
ああ、あの時私が聴いた歌は、このように繰り返し繰り返し歌っていたのか。これは「自分教」に見切りをつけた者が、「主」すなわちイエス・キリストと出会って新しい生き方をする喜びの歌だ・・・。その時の、ずっしりとした重い驚き。若い日の、病んで消耗しきっていた長い夜の息苦しさの中に、ふとあたたかな光が降ってきたあの感じが、一気に生々しく蘇り、私は音楽というものが持つチカラにしみじみ打たれてしまいましたとさ。
クリスマスオルガンコンサート、来て下さいね!
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