のぞみ園ディープ

メリー・クリスマス09

12月24日のクリスマス・イブ、行田カベナント教会有志と、行田のぞみ園オールスターキャストによる、行田市川嶋書店前でのキャロリングの図。平日の夕方とあって教会側の参加者が少なかったのですが、それをを補ってあまりある元気な歌声を響かせてくれました。

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このあとキャロリング隊は二手に分かれ、行田市の特別養護老人ホーム「まきば園」と「さつきホーム」でそれぞれ賛美歌を歌い、「メリー・クリスマス!」をお届けしました。
お年寄りの皆さんは、想像以上にとっても喜んでクリスマスの歌を聴いて下さっていました。そして行田のぞみ園の方々は、賛美歌をみんなで歌う事が、もう楽しくて楽しくてならないという様子でした。「人を潤す者は自分も潤される」という旧約聖書の「箴言」の言葉が思い出されました。

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キャロリングのあとは、園に戻りみんなでクリスマスを祝う食卓を囲みました。







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その後は、お迎えに見えたご家族の方と一緒にクリスマスの燭火礼拝に参加された方もいました。写真は各自に配られたキャンドルと賛美歌のソングシート。
このあと照明を消して揺れるキャンドルライトの中でのミサとなったのですが、それは撮影に失敗shock。とほほほ。・・・・うわ~ん、やっぱりなcrying

何はともあれメリー・クリスマスでございます。

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「光はやみの中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった。」


新約聖書 ヨハネの福音書1章5節

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行田のぞみ園もキャロリングへ!

今日は12月24日、クリスマス・イブ。今年の行田のぞみ園は、行田カベナント教会有志の方々と一緒にxmasshineクリスマス・キャロリングshinenoteに出かける予定です。

Photo_2 教会のキャロリング一行は、毎年街が薄暮に包まれる夕方4時半に教会に集合。皆で賛美歌の音合わせをちょっとしてから市内に出かけます。(写真は数年前の様子。市内の某お宅庭でのショット。)

今年は、川嶋書店前→老人福祉施設「まきば園」→同「さつきホーム」というコースで順に巡る予定。いづれも行田のぞみ園が日頃大変お世話になっている場所です

Kore_2 歌うのは毎年、「きよしこの夜」とか、「神の御子はこよいしも」とかスタンダードな賛美歌です。キャロリングが始まるころには日もとっぷり暮れ、場所を移動する時にふと見上げる夜空の星がすごくきれいなのですが、今夜の夜空はどうでしょうか。

今夜7:30からはxmas教会でshineクリスマス燭火礼拝shineがあります。みなさまもどうぞお越し下さい。

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「僕らのこの手が」聴けます

先週ご紹介した行田のぞみ園のnoteオリジナル曲「僕らのこの手が」が、ここから聴けるようになりました!

リンク: 「僕らのこの手が」 試聴室

歌っているのは、作者自身です。とは言え、これは一昨年行田のぞみ園に楽曲をプレゼンした時の音源。まさか歌声をkaraokeこんなふうに公表することは想定してなかったでしょう、「歌のクオリティーがいまいちで・・・」と本人は気にしていますが、いいじゃん、いいじゃん。
ありがとう、Show-J 君heart01

このさい歌詞をもういっぺんご紹介しちゃいますhappy01。これは、行田のぞみ園の社員さん(デイケアの利用者さん)の歌であり、と同時に職員の歌でもあります。

「僕らのこの手が」   作詞・作曲 Show-J

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僕らのこの手が 何かを作れるのなら
それはあなたから 譲り受けたものでしょう

僕らのこの手が 何かを伝えるのなら
それはあなたから 伝わった温度なのでしょう

汚れてる手を見つめる それは誰も同じ
でもそこに
しずくのように のぞみは降りた

新しい明日に生きる
君を捜してきた
あなたに寄り添って
生きる事を知った

僕らのこの手が 何かを握るのならば
それはあなたの手 僕らの手を包む両手

生きている この命が
生かされているのはあなたから
あなた手で造られたから

新しい明日に生きる
君を捜してきた
あなたの手を握り
生きる事を知った

歌声はやまない
名前を呼ばれた命
そこにしずくのように
のぞみは降りた

ラララララ・・・・・・・・

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「僕らのこの手が」

行田のぞみ園が「ハートビート・ミュージック・カフェ」で披露する、もう一つの持ち歌「僕らのこの手が」の歌詞を紹介します。これは行田カベナント教会のお兄さん達も所属していた伝説のクリスチャンバンド「Hands」のメンバーの一人、川越聖書教会のショージ君の作詞、作曲です。歌詞の中の「あなた」とは、人間の造り主である神さまのことを歌っています。

「僕らのこの手が」   作詞・作曲 Show-J

僕らのこの手が 何かを作れるのなら
それはあなたから 譲り受けたものでしょう

僕らのこの手が 何かを伝えるのなら
それはあなたから 伝わった温度なのでしょう

汚れてる手を見つめる それは誰も同じ
でもそこに
Photo_2 しずくのように のぞみは降りた

新しい明日に生きる
君を捜してきた
あなたに寄り添って
生きる事を知った


僕らのこの手が 何かを握るのならば
それはあなたの手 僕らの手を包む両手

生きている この命が
生かされているのはあなたから
あなた手で造られたから

新しい明日に生きる
君を捜してきた
あなたの手を握り
生きる事を知った

歌声は止まない
名前を呼ばれた命
そこにしずくのように
のぞみは降りた

ラララララ・・・・・・・・

行田のぞみ園はキリスト教会から生まれた福祉施設ですが、園の営みの中で宗教活動は行っていませんし、社員さんにキリスト教をお勧めする事もありません。しかし、園の運営の基本理念には、聖書の教えと神さまの愛があること、これはもう揺るぎない事実であるため、社会常識的に許されると思われる範囲で、このような歌を歌うことはあります。

ちなみに、歌詞の中に「汚れてる手を見つめる」という一節がありますが、これはすべての人間が一人残らず抱えている自己中心的な思い、心の汚れ、弱さ。そして、そこから現実の生活場面にこぼれ出てしまう、良くない思いや行動といったものを象徴的に表現している言葉です。しかし、だからダメなのではなく、それを謙虚に認める心に、神さまからのゆるしと、希望と、力が何度でも注がれる。だから感謝して生きてゆこう、という意味がこめられてい(ると思い)ます。

なので決して、お菓子を作ろうとしたら手が汚れちゃってて、ギョッとしてボーゼンとしてるtyphoon、というわけではありませんのです。これからも安心して行田のぞみ園のお菓子をお召し上がり下さいね。念のためcatfacesweat01

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あの空はどうして青い

昨日アップした「ハートビート」で行田のぞみ園の皆さんの歌った歌をご紹介してみます。

「あの空はどうして青い」  作詞・作曲 田中康一

あの空はどうして青いのでしょう
あの雲はどうして白いのでしょう
あの鳥はどうして飛べるのでしょう
この花はどうして咲いたのでしょう

それは神さまのみ言葉のわざです
世界のすべては
神さまによって 作られた


この草はどうして緑色で
の犬はどうしてまだらなのでしょう
この猫はどうして目が光るの
この虫はどうして羽鳴らすの

それは神さまのみ言葉のわざです
世界のすべては
神さまによって 作られた

*これは主に教会の若年層、特に子供達を中心に歌われている軽快なメロディのプレイズ・ソング(神さまへの賛美と祈りが込められた歌)です。日曜学校の行事やバイブルキャンプなどで、私も子供と一緒に歌った記憶があります。シンプルな歌詞ですが、私たちを取り囲む自然や生き物の一つ一つが、意味のない偶然の産物ではなく、神さまの精緻な意匠による創造の賜物であることを思い起こさせる歌詞なのです。

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ハートビートで

去る9月21日(火)、行田カベナント教会で開催された、音楽イベント「ハート・ビート・ミュージック・カフェ」に参加しました。行田のぞみ園の皆さんは、「エルピス」というコーラスグループとして、毎年この行事に参加しています。エルピス、とはギリシャ語で「のぞみ、希望」という意味だそうです。

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今回は、行田カベナント教会の若者たちのバンドの生演奏をバックに賛美歌(プレイズソング)と、園のオリジナル曲(あるんですscissors)を熱唱しました。

歌の前に、みなで聖書の言葉をいくつか暗唱しました。行田のぞみ園では、朝礼で心整える時にいつも聖書の言葉を唱えてるので、けっこう長~いセンテンスを、皆さんほとんどよどみなく暗唱しています。はじめて聞く方は、必ずしもキリスト者ではない、この方々の口から出てくる、例えば次のような言葉に、ことさらハッとする経験をさせられるように思います。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」
新約聖書 テサロニケ人への手紙 5章16~18節

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために私を義の道に導かれます。

たとい、死の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。・・・・・まことに、私の命の日の限り、いつくしみと恵みとが私を追って来るでしょう。私は、いつまでも主の家に住まいましょう。」
旧約聖書 詩篇23編

ご紹介したのは、暗唱のほんのごく一部。全員が声を振り絞るように繰り出す大きな言葉の力に、会場は毎度圧倒されます。ちなみに、私はずいぶん長く教会に通っているけど、思えばこんなに一字一句違わずすらすら暗唱できる聖句って、ないです・・・・とほほほ。

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若ぶどう ぐんぐん

Photo_3 見てみて!

園の奥にある、葡萄棚の若ぶどうです。
4月にはほんのちっちゃいツブツブ状だったのが、もうこんなになりました。

果実の一粒一粒に、いきいきと、はちきれそうなエネルギーの充実を感じます。






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前月もご紹介しましたが、園の改築工事でバリアフリー化のため、根本(写真左下)以外の周囲をカンペキに舗装されちゃったので将来をちょっと悲観してたけど、なんのなんの。日々確実に成育しています。

どこまで深く根を張り、どのように養分補給をしているのやら。
う~ん、想像をかき立てられるなあ・・・・。

写真の正面奥は休息室で社員さんがお食事したりくつろいだりする場所なのですが、何しろ行田市は日本一の猛暑の熊谷とは地続きの、運命共同体みたいな気候。ですから、この緑陰はものすご~く貴重なのです。

しかし、この根性ぶどう。じっと見てると、何だか園のみんなに見えてくるんですけど・・・・。

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もう少しバターのこと

Dscn2706先日、バターの記事について触れた「暮らしの手帖」誌です。

行田のぞみ園のスタッフの、この人から
http://chocolate-channel.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_335f.html
お借りしました。
(↑2008年6月10日当ブログ記事です。コピペして飛んで見て下さい。ブログ右上のカレンダーからでもさかのぼれます)

Dscn2708_2 このバター特集でも触れてられているのですが、
コンビニやスーパーに行くと、「バター○○」とか銘打ったお菓子類が結構あります。でも、原材料表示をよく見てみるとバター以外にも、マーガリン やショートニング、あるいは漠然と「植物油脂」と表示されてるものほとんどです。だから「バター○○」は嘘じゃないにしても、さてどれだけの割合で入ってるのか、それがモンダイだsweat02、と思います。

それに、この記事によると、最近は市販のケーキbirthdayなどの洋菓子類にバターが使われなくなってきているんですって。

「動物性脂肪や植物性脂肪(水素添加して固体化した硬化油)を加工したものと、便利な添加物によってバターの代用がなされている」そうで、

これは「低コストで型くずれせず、保ちもよく、微妙な火加減せずに均質に焼き上がる利点」があるからwobblyとのことです。・・・・ほほう。

本格志向の洋菓子店でさえも、純バターではない「コンパウンドバター」という、マーガリンやショートニングに30%前後のバターオイル(液状の乳脂肪分)を混ぜて作られてるものを「バターと勘違いして」←ええっ!?使っている例があるんだとかshock・・・・・う~ん、なんだかな。

バターの原材料は、生乳と食塩のみで、昔も今も添加物とは縁のない食品scissorsだそうです。こういう記事を読むと、手間ヒマ&コスト等々すっごく大変なのにバター使いにこだわる行田のぞみ園のちっちゃいお菓子たちが、むしょうにかわゆく光ってshine見えてきます。


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私たちもまた 3

Photo作業予定の掲示板→
これはスタッフ用。昨年来の不況で厳しい状況が続いていますが、それでもほとんどの営業日に販売先が与えられています。考えてみるとこれは本当にスゴイことで、有り難いです。

行田のぞみ園で知的障害をお持ちの方々と時間を共有していると、「ああ、私はこの方々にとてもかなわない」と心から思うことがあります。社員(通所利用者)の皆さんを見続けていると、人間の真の価値、本物の品性とは何だろうか、としばしば深く考えさせられるのです。

Photo_2 ←社員さん(左)とスタッフ(右)
後ろ姿の社員さんはオーブンから出たクッキーを天板から外す作業をしています。右のスタッフは、クッキー生地を扱っていますが、背後の作業をそれとなく見守っています。付かず離れず、この距離感が大事のようです。

例えば、人間関係においてご自分が何かよくない事をしてしまった。その事を指摘され理解した時、皆さん本当に素直にはっきりと「ごめんなさい」とおっしゃるのです。当事者に対しても、苦言を呈したスタッフに対しても、です。そして、謝られた側の社員さんは、相手の方を許す。「ごめんね」の一言で、氷が一瞬で解けるように、すっきりと、見事に許すのです。つい今し方まで溝があり、目を合わせることも避けていた両者が、こだわりもわだかまりもなく、満面で笑いあい、お昼休みには一緒にお弁当を食べている。その光景を、「何て他愛がない」と私は一笑に付すことができません。

Photo_3

クッキーを天板からはずす作業→
あら熱が取れてから、形を崩さないよう丁寧に慎重に行います。作業室は豊かな香りで一杯に。

最近、公益法人でありながら巨額の利潤を追求しまくっていた団体の責任者が「謝るのはいやだ」と言い放ったそうですね。このannoyバカが!と多くの人が思ったでしょうし、私も思いました。が、しかし、よく考えると「ごめんなさい」を出し惜しむ事にかけては、私は間違いなくこのバカ理事長と同じタイプの人間です。なので、行田のぞみ園の社員さんの「生き方」というか、「歩み方」を拝見していると、人間としてみみっちいsweat01sweat01事この上ない私などは「ああ、とてもかなわない」と毎回恥じ入るばかりです。これで「健常者」などと呼ばれて生きているのですから・・・・。

Photo_4 行田のぞみ園の社員さんたちは、スピードを競ったり、情報を正確に記憶したり、物事に柔軟に対応したりすることは不得手かもしれません。ですが、人間としての謙虚さ、素直さ、正直さ、粘り、忍耐、そして希望を持つこと。そのような点においては、健常者をはるかにしのぐ輝きをお持ちです。人間のうわべではなく、内面もすべてお見通しの神さまは、この方々に格別のまなざしを注いで愛しておられるに違いない、と心から思います。

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私たちもまた 2

Photo_5 行田のぞみ園は、仕事前に毎朝まず聖書bookを読み、礼拝していることを、先日来書いています。そのような日々の積み重ねは、スタッフの心heartに、日々取り組むデイケアに、やはり深く浸透し、影響を与えていると思います。

  ←行田カベナント教会の玄関付近。わずかなタイルの裂け目から、ごく普通に咲いているアリッサム。別に頑張ってもいない風情がいい感じ。

聖書には「義人はいない。一人もいない」という有名な言葉がありますが、キリスト教は「すべての人間は罪人である」という基盤に立っています。それはつまり凡人(?)だけでなく、どんな豊かな才能を持ち、高い道徳性を備え、社会に貢献し、人々から賞賛や信頼を集める人であっても、すべてお見通しの神さまの目から見れば、義人=罪がなく正しい、と言える人物はこの世の中に誰もいないということです。

Photo_6 福祉の現場では、お世話をする援助者と、被援助者の関係が、とかく強者と弱者という構図を描きがちです。ことに知的障害者施設の場合、「適切な指導」の名のもとに、とかくスタッフが支配的になってしまうことがあり得るのではないでしょうか。底流には、彼ら(障害者)は間違ってしまう、だからスタッフが正さなければ、という無意識の「善意」があるのかもしれませんが。

行田のぞみ園にいると、社員さんのいわゆる問題行動(←ごめんなさいthinksweat02、こんな雑な言葉で・・・)は、実は私たちスタッフもまた等しく持っている欠けと弱さthunderなのだ、ということを日々思わされます。自分勝手な気持ち、怠けたい気持ち、苛立ちから次第に攻撃的な気分に傾斜してゆく心、何かあれば他人のせいにしたがるエゴ・・・・誰でも自分の胸にheart01手を当てて考え てみれば、そういうものを持たない人はいません。私たち「健常者」は、経験則や処世術によって、計算高く精緻に調整弁を働かせ、そう簡単にはbleahボロを出さないようにしているだけのことですsweat01

Dscn2332_3 行田のぞみ園の社員さんと一緒にいると、しばしば率直すぎる行動やもの言いにハッとします。「まったく困っちゃうなあ・・・・」と当然思うのです が、と同時に、自分自身が鏡に映し出されたように感じます。全く同じ質の「困っちゃう」ものが、実は自分の中にもばっちり あるじゃないか!、ということがアリアリとshock生々しく思い起こされてきて、結局は神さまの前に粛然とするのです。

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